憑き物が落ちたよに

 昔のブログ記事を読み返してみると、「俺、面白いんだぜぇ。他人とはちょっと違う感性持ってるんだぜぇ。色々と語っちゃうぜぇ」という意識が文章の端々から感じられ、何だかもう、身も世もないってぇくらい恥ずかしく(というより、我ながら痛々しく)なったので、いっそ全部消去してやった。


 僕はかつて、オタクというか変態というか、まぁ一種の特殊な「キャラクター」を気取って、散々、この腑楽庵というブログに駄文を書き散らしてきた。
 ごくたまに、一部の読者から「ブログ、面白いね」と言われると、調子に乗ってますますその「キャラクター」に、自己暗示的にのめりこんでいった。


 ただまぁ、今となって正直に告白してしまえば、僕の本質ってのは、わざわざインターネットで声高に標榜するほどの立派なオタクでも変態でもなかったりする。
 アニメや漫画は確かに好きだけど、気が向いた時しか嗜まない。ひとたび観れば、きっとはまるんだろうけど、未だに『けいおん!』を観ていないぞ私は。
 そもそも、私がアニメを観ようかって時は、かなり意識的なんだ。「最近、流行ってるから」とか「友達が観ろって言ってたから」という外部的な理由に押され、一種の「どっこらしょ」感とともに鑑賞している。この感覚は、純粋にアニメを好むオタクのそれではない。
 そして、「俺、変態です」なんてのも標榜してたけど、すいません、冷静に、かつ正直に語れば、別に私は変態でも何でもありませんでした(現代的な感覚から照らし合わせてみれば)。死後、エロDVDを保存してあるHDDが発見されても、確かに恥ずかしくはあるけれど観念はできるという、まぁその程度のおだやかな性嗜好でござんす。


 とまぁ、ふと立ち止まって、己が全身を眺めてみると、結局のところは私は“普通の子”だったんである。
 特殊なスキルも知識も性癖も持たず、そして、それを追求をする熱意も持っちゃいない。
 今となっては、かつて背負ってたオタクなり変態なりって属性は、「なんとか特殊な人間たろう」「なんとか他者との差別を維持しよう」という、涙ぐましい意識の顕れだったのだなと思う。決して、自身の深奥から自然発生した感情ではない。


 自分が元来、持っていないものを、あたかも持っているかのように振る舞うのは、やっぱり無理が生じるわけで(でも、当時は持っていないものを、持っていると思い込んでいたわけだから、歪みに気が付かなかった)。
 で、その無理がいよいよ近年になって臨界点を突破したらしく、何だかしらないけど今までアイデンティティの拠り所にしてた歪んだマイノリティ意識と一緒に、ぱーんと弾け飛んでしまったみたい。


 何だかすがすがしいので、久しぶりにブログを再開してみようかなと思っている。
 「読者を想定して」ってのが作文の原則だけど、なんかもうそんなの無視してさ。