半睡の澱み

 夢の話。


 柳の連なる小運河の向こう岸に、三階建ての旅館が立っていた。
 モルタルの外壁が、灰色にくすんでいる。
 僕の立っている位置からは、二階の一室の窓がよく見える。
 窓の向こうで、女が鴨居に紐を引っ掛けている。
 僕は、図らずも女性の部屋を覗いてしまったことに羞恥心を感じ、その場を逃げるように立ち去った。


 この街は、川沿いに古民家がずらっと並び、それらの家々から漏れる生活光が、夜景に橙色の花を咲かせている。
 何となく、これは京都の街の一風景なのかもしれないなと、僕は直感的に思った。


 そうだ、僕は人を待っていたんだと、唐突に思い出し、駅に向かう。
 駅は、数カ月前に初めて行った、奥多摩駅にそっくりだった。
 ただし、駅の便所が、尋常じゃないくらい広い。
 高速道路のSAみたいな広さだ。
 だけど凄く汚い。壁はタイルじゃなく、打ちっぱなしのコンクリートで、ずらっと並んだ小便器は、黄色の尿石がガビガビにこびり着いていた。その光景を照らしているのは、場違いに煌々と灯る照明で、その明るさの所為か、さほどの不快感を感じなかった。


 用を足して便所を出ると、道端に多くの人が蹲っていた。
 この人たちは、僕が便所に入るときも居たっけか。よく覚えていない。
 みんなズボンをまくり、脹脛を剥き出しにして、そこをバリボリバリボリバリボリ掻いている。
 爪が皮膚を掻き壊し、血が滲み出しているのに、バリボリバリボリバリボリ。
 みんな、退屈そうな顔で、無言。だから、バリボリばかりが活発に動いている。
 

 急に僕の足も痒くなってきた。バリボリだ。
 しまった、この便所は罠だった。何とかしなくては。


 バリボリの秘密は、さっき覗き見てしまった首吊り女が真相を知っているのだと思う。
 彼女がまだ生きてればいいなと思いながら、あの灰色の旅館を目指し、僕は足を引き釣りながら歩いていった。


 別の夢の話。


 赤子のように、そこらにあるものを手当たり次第に口に運ぶ夢だった。
 食べるでもなく、唇を這わせ、舌で弄び、臼歯で噛み潰す感触を味わっている。それもひどく無感動に。
 その夢を主軸としながら、僕の意識はまた別の夢を追いかけている。
 テレビを眺めながら、ネットサーフィンをしているような感覚。


 従の夢は、次々と主の夢の口に放り込もれていく。
 ファミコン懐ゲーを楽しんでいる夢だったはずなのに、いつしか本筋の口遊びの夢にシフトして行く。
 僕はマリオとルイージを舌で選別しながら、口腔で弄んでいる。
 小学校の時の夢は、何故かトンボの鉛筆に集約され、僕はその夢の尻尾にガリガリと歯型を刻んでいく。


 蛇の夢を見たんだと思う。
 唐突に、奥歯でくちゃくちゃ噛んでいるものが、蛇の死体であると気が付いて、主の夢の中の僕は、とても狼狽した。
 慌てて吐き出した蛇の残骸は、まるで噛み捨てたガムのようにくしゃくしゃになっていて、ああ、しっかり蛇のエキスを摂取してしまったのだと、夢の中の僕はひどくいやな気分がした。口の中に残る蛇の味は、輪ゴムを噛んだ時の味にそっくりだった。